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私の研究分野はリスク学でして、リスク論やリスク評価の古典と呼ばれる論文を読むことが、仕事のような趣味のような生活をしています。ここでは化学物質や食品添加物の安全性評価に用いられる「安全係数」が固まっていった黎明期の話をご紹介したいと思います。
化学物質や食品添加物の安全性評価では、影響が見られない量、たとえば動物実験などで影響が観察されない量(NOAEL)に、さらに安全係数を考慮して人の摂取許容量を求めています。NOAELの1/100の濃度が人の摂取許容量 (Acceptable Daily Intake:よくADIと省略されます)とする例は、食品添加物の評価についての話をお聞きになった方ならご存知なのではないでしょうか。操作のうえでは、NOAELを安全係数で割ることでADIを求めるのですが、この安全係数100は情報が充分でない場合のデフォルト値となっています。
では、この100という数字はどのように世の中に出てきたのでしょうか。
米国では、1940年代後半から、食品添加物の安全性が毒性学の知見から判断されるように、という政策ニーズが浮上し、方法の体系化が求められていました(背景については、Lehman et al. (1955)に書かれています)。米国医薬食品局(米国FDA)の研究者、レーマンが中心となり、この取りまとめにあたりました。レーマンとフィッツーが1954年に発表した、「100-FOLD MARGIN OF SAFETY」(Lehman AJ and Fitzhugh OG, 1954)という短い論文が、安全係数100の概念を明確化した最初の文書とされており、以下のように書かれています。
”動物における毒性から、提案された食品添加物のヒトに対する安全性を予測する試みにおいて、その添加物は少なくとも100倍の安全マージンを持つべきであるという声明が出されている。「100倍の安全マージン」という用語は、その化学添加物が、長期的な動物実験における最大安全量である量の1/100を超える量で、人間の総食事中に存在すべきではないことを意味する。”(” ” 内の訳は小野による)
ここで、声明を出したのは米国FDAですね。彼らは、様々な動物試験の結果を整理し、化学物質に対する影響の受けやすさが人間と犬やラットとの間で異なることを示しています。フッ素やヒ素の例では”人間はネズミの約10倍、犬の約4倍以上の感受性を持っていることになる”と書いています。
これだけでは100倍の安全マージンが十分であるかは議論できないものの、彼らはすでに科学と政策とのギャップを意識しつつ(見切り発車ではありながらも)、以下のように「100」という数字を明確に示していることは興味深いです。
”「100倍の安全率」は良い目標ではあるが、安全性の尺度として絶対的な基準ではない。絶対的な値を導き出すための科学的、数学的な手段は存在しない。しかし、この100倍というファクターは、食品添加物の危険性を最小限に抑えるのに十分な大きさであると同時に、食品の製造や加工に必要な一部の化学物質の使用を認めるのに十分であると思われる。”
”動物で毒性が認められないからといって、必ずしも人間で起こることを予測できるとは言い切れない。しかし、100倍の安全率を選択することは、危険性を最小限にするための合理的な保護手段である。”
なお、1954年の段階で、食品添加物の評価はまだ「安全性評価」であり、リスクという言葉は出てきません。十分に安全かどうかという議論で止まっており、「有害影響が現れる確率を考える」方法にはなっていないことがわかります。リスク評価の考え方が出てくるのは、1970年代、発がん性物質の評価においてこれまでの安全確保の考え方では十分な安全を守れないという問題が明らかになり、新たな考え方が模索されてからのことになります。
(小野 恭子)
参考文献
Lehman AJ et al. (1955). Procedures for the Appraisal of the Toxicity of Chemicals in Foods, Drugs and Cosmetics Food, Drug, Cosmetic Law Journal 10(10), 679-748
Lehman AJ and Fitzhugh OG (1954). 100-Fold Margin Of Safety. Association Of Food & Drug-. Officials Of The United States Quarterly Bulletin 18(1), 33-36